【非公式】メシーカ アナザーストーリー 第2部
これは主の頭の中の妄想を膨らませた非公式のメシーカ。アナザーストーリーであるー。
目次
06.目的
ー。
天を覆い、のし掛かるような空と隆起する大地。緑は生命の胎動で溢れ、水の囁きは何処か落ち着きがない。一行が到達した地、メシーカは来訪者の存在を確実に捉え、こちらの様子を観察しているように感じられた。
「ここは…。」
神々の誰しもが強烈に感じる、刺さるような命の鼓動と自然エネルギー。
「不思議な地ですわね。ここでは、風も、土も、火も、水も。まるで全てが合わさってひとつの大きな命のようですわ。先程からジャンの毛が逆立って止まりません。」
ジャンはフレイヤの下でフシュゥ、と息を荒げ苦しそうにしている。フレイヤは愛猫のジャンを優しくなだめながら感じる違和感を続ける。
「そしてその全てが何処か霞ががっている。この地ではこれが普通なのかも知れませんが、充ち満ちるエネルギーの一方で荒い息遣い、痛いくらいに攻撃的な重圧。まるで窮鼠が猫を噛む時のような印象を受けます。」
見渡す限り、目視でこちらに敵意を向ける者はなく、無事に上陸を果たせたようだ。人の姿は見えない。フレイヤの言う通り、小鳥や妖精の様子が何処かよそよそしく、必死めいている。異界の未知なる生命体が強大なパワーを持って突如現れたのだから、これが自然な反応だと解釈もできるが、その場に立つ他の神々もフレイヤの言葉に共感し、どうやらこの違和感の原因は自分たちの他にある、と考えた。
「ハデス様、野営地の準備、整いました。」
船頭の報告にハデスは頷き、労った。一行の眼前には生茂る密林が広がっている。それを抜けた先には広大な丘陵や切立つ山岳、何者かが建設した神殿や遺跡の類があることを一行は船の中から確認しており、この世界にはあらゆる自然と文化が内包されていると予想できた。
「旅の目的を明確にし、期限を決める。」
ハデスは言った。
「目的はマキナ殿をはじめとするイアソン船団の所在を確認すること、またはそれに準拠する手掛かりの発見。それに加えて帰る手段の用意だ。可能な限り多くの命を助けたいが、ミイラ取りがミイラになっては敵わん。何よりも優先すべきは着いてきた船乗と貴様らの命であると肝に命じよ。」
ハデスはトールを一瞥したあと、あてもない彼方を見詰めながら続ける。
「自明の通り、どうやらここは俺たちの世界と似て非なるものだ。この地に満ちるエネルギーを転化すれば或いは未開の新たな呪文や能力を我々であれば得られるであろう。しかしそれは常に危険と同居している。その力が俺たちを蝕み、また吞み込もうとするかも分からん。期限は一月だ。結果如何に関係なく、その間でここを発つ。」
ハデスの言葉にはひとつひとつ、決意の重みが混じっている。各自ここに居る理由は様々ある様子だが、彼もまた並ならぬ覚悟を持ってここに立って居ることが伝わってくる。
「お、おい、ッおっさん!勝手に決めんなよ、結果は出すだろ。全員見つけようぜ、期限なんて作らねえでよ。俺たちなら適わない敵はいねぇだろ。」
トールは曇った表情でハデスの言葉に割って入った。
「トール。」
フレイヤが嗜めるが、トールの性格はそれを一回で聞くような構造になっていない。
「いや、だってよ。折角こうも大所帯でこんな辺境に苦労して来てよ、何の成果も挙げずに帰れるかってんだよ!」
貴様、とハデスがトールの勢いを折った。
「小僧の分際で分別を弁えぬ奴だ。何を気にしているかは知らんが、それ以上やりたければ貴様一人でやれ。命が朽ちるまでな!貴様の事情に俺たちを巻き込むな。」
なんだとお、刹那にトールの心は炎で包まれ、頰がカッと紅くなり、ハデスに食ってかかろうとした。咄嗟にアヌビスが体を張って止める。
「おぉっと!兄貴、そりゃあ不味いや。一回、収めましょ。助けたい気持ちは皆んな一緒ですって。一月でみんな見つけりゃいいんですから。ね?」
数秒の沈黙。空気がひりついている。ハデスは降りかかった熱を払うようにひとつふんっ、とため息を吐くとそれ以上言葉を発さずその場を発ってしまった。
「私達、食事の支度を手伝ってきますね。」
ウズメが慮り、控えめな様子でフレイヤと立ち去った。陽が沈みかけ、直に夜である。
「この世界にも夜ってあるんですねぇ。」
アヌビスはうつむくトールへそう声をかけた。
07.約束
ー。
メシーカの夜。夜は陽で火照った体と精神を万物平等に癒してくれる。宴を囲う船団の外では夜虫のさえずりの他には風もなく、岸に寄せる波も穏やかで静かな夜だった。陸での大地に足をつけた食事はオリンポスの港を出立してからかれこれ一週間ぶりになる。船乗達は先のことなど忘れたように酒をくらい、はしゃいでいる。
「さっきはすまなかった、ビスケ。」
トールは酒も程々に、ゆらゆらと揺れる焚かれた火を見詰めながら素直に詫びた。アヌビスはええ、とひとつだけ頷き、トールの様子をそれとなく伺っている。トールが続けて何かを喋りたければ聞くし、そうでないなら他愛のない会話を適当に繋げばいいだろう。アヌビスはそう思った。普段ムードメーカーというにはやや勢いが余り、空気を読まず壊してばかりいるが、肝要な場面はしっかりと抑えられる賢さと優しさがアヌビスにはある。
「俺ァ、約束しててよ。」
旅は道連れ、一蓮托生。既に旅を始めているアヌビスにとって、トールの遠征理由など今更どうでも良かったが、どうやらトールは胸の内を話すつもりらしい。
「ロキを連れ帰る、ってシギュンに約束してんだ。」
「シギュンさん、ってあのー」
《療法手 シギュン》
高性能なヒーラー
シギュンは、ロキの妻である。彼女は慎ましい品性に富み、悪戯好きで移り気が激しく、また狡猾で嘘つきと悪の色濃いロキには異様とも言える相手であったが、彼女は一点の曇りなくロキを愛していた。これは後の話になるが、ロキがオーディンの息子バルドルを殺害後、地下牢に幽閉され顔面に毒を盛られる際もシギュンは甲斐甲斐しくロキを支え続ける。
「じゃあ意地でも引っ張って連れ帰らねぇと。」
アヌビスは穏やかな声でそう返した。それ以上の言葉は無粋であるし、必要なかった。トールの感情が熱しやすい点については一長一短があるものの、基本的に裏表のない漢気に溢れる快活なトールが約束をする、という行為には“必ず果たす”という意味が付いて回るし、約束を違えることはトールの自尊心が許さない。
「他の奴がどう思ってるかは知らねえが、俺ァロキのこと嫌いじゃねえ。何より未亡人は可哀想だろ。」
トールは笑って言った。例え自分自身の問題であったとしても、人には話を聞いてもらうだけで心が楽になり、視界が晴れることがある。それは人も、神も同じである。トールはアヌビスに溜め込んだ心のもやを拭ってもらった思いがした。遠くの席からトール達に気付かれぬよう、それとなく話を聞いていたフレイヤは全くもって世話が焼けますこと、そう思いながらも口元は優しく微笑んでいた。
長い、長い宴は続く。ウズメが得意の舞踊で皆を心酔させ、トールが合いの手に木打ちドラムを添えると、まるでここが異界の地であることなど忘れ、人と神の垣根を超えて、心の底から皆が笑いあった。そうして夜が更けていった。
ー贄を…。贄を捧げよ…!
それから数刻したであろうか。突然頭の中へ電流のように走る奇妙な声に神々は目を覚ました。どうやら今の声は霊的感覚の備わった神のみにしか伝わっていない様子で、船乗達は昨夜の甘い余韻を噛み締めるように、気持ちよさそうに眠り続けている。辺りは朝靄というには優しすぎる、特異な濃霧が包んでいる。
「アテナ…!ッ」
ハデスが何かを察知し、海岸へ駆け寄る。
そこにはアテナと一人の見知らぬ男が剣を交えていた。
08.邂逅
ー。
濃霧に包まれたメシーカの夜明け。一行は異界の地到着から二日目にして、イアソン船団の足跡を掴む。オリンポス領域のアテナを見つけたのだ。アテナは岸から少し離れた海上に立ち、一人の屈強な戦士と剣を交えている。
「畏れるな、進め。」
濃霧によってトールらの視界は奪われていたが、伝わる覇気がアテナの存在を確信させる。使役する海梟グラウクスが男の周りを飛び交い、アテナの邪魔にならない絶妙な間で男の死角から応戦しているようであった。一方アテナと相見える男はトールを想起させる巨軀と威風堂々、百戦錬磨の貫禄を放出しており、雌雄はその男に傾くとその場に居合わせるどの神にも解った。
「アテナ!」
ハデスは血相を変えアテナの下へ走り出す。そこにはこれまで皆にハデスが見せた冷静さや周到さは微塵もなく、余裕が一切ない。ハデスにとってアテナは急所と呼んで間違いなさそうであった。
「ハデス様、お待ちください!」
フレイヤの声が虚しく木霊する。トールが電光石火の身のこなしでハデスの後を追った。
彼女を旅へ出した私の計算が甘かった、ハデスはこの旅の中、何度も、何度もそう反芻しては自身を責めた。また一方でアテナを信じよ、と心に戒めもした。そうした心の中の矛盾が旅の中で膿み、塞き止めていた感情のうねりが今、一気に解放されたのだ。
「アテナ、今助けるぞ!雷霆の牙よ、穿て!ケウラノスの制裁!」
《ケウラノスの制裁》
オリンポスの主砲スペル
ハデスが詠唱すると閃光の煌めきがカッ、と眩くほとばしり雷鳴が轟く。
ードッシャーン!!
空を割く巨大な雷が男に直撃した。男はぐおお、と息を洩らし、膝を着く。
「アテナ、大丈夫か!」
男にはそっぽもくれずアテナの下へ駆け寄り、彼女の両肩を掴みながらハデスは問いかけ、その顔を見て不意に驚愕する。
「贄…。贄を…捧げよ…!」
アテナの口から発せられた言葉は、先程頭の中で聞いた悪魔のささやきとも取れるそれであった。
「おっさん、危ねえ!」
後を追って来たトールが叫ぶ。が、アテナの繰り出す槍が速い。ハデスはアテナの攻撃を辛うじて左腕で受ける事で致命傷を避けた。鈍い痛みがハデスに突き刺さる。
「私としたことが…。」
ハデスは自分へ向かったアテナの殺気を確かに感じた。これははたしてどういうことだ、ハデスは混乱し、思考が定まらずに次の手を逡巡する。すると間髪なく重い剣圧がハデスを猛襲する。トールがそれを鎚ミョルニルで受け止め、がぎん、と金属音が響き渡った。敵意の主は今しがたハデスの雷撃を受けた男である。空気がひりひりしている。
「なんだなんだァ?お前達、その女の仲間か?…にしてはそのおっさん腹ァ突かれてたよなァ。よく分からねえ!」
男は愉快そうに話す。
「しかしデケェ方の、よく俺の攻撃を受け止めやがったな。今まで沢山のやつと戦ってきたが過去に俺の攻撃を躱す奴、受け流す奴は居ても、真っ向から受け止めた奴は居ねェ。やり合う前に聞いて置きてェ。お前さん名は? 」
《羽蛇神 ケツァルコアトル》
男はトールの言葉を待たず自分から名乗りを上げた。
「俺の名は、ケツァルコアトル。メシーカの地を守る、風の神だ!」
それは一行にとって、運命の出会いであった。
09.雌雄
ー。
トールの目の前には万年を生きる伝説の巨木のように巨軀の男が立ち塞がっている。その男は足元が海上であるにも関わらず、地に根を張ったようにズッシリとした重量感を持ち、この大地の全てから愛されているような満ち満ちたエネルギーを滾らせている。ケツァルコアトルと名乗ったその男はトールがこれまで相手にして来たどの巨人族よりも大きかった。
「おっさん、そっちは頼むぜ。俺は助太刀に行けそうにねえからよ。」
トールの言葉を聞き、承知した、と頷くとハデスはアテナを陽動し互いに被害の出ない距離を取る。一度交わした拳でトールは理解していた。この男は自分がこれまで対峙してきたどの男より屈強であると。周囲は靄が晴れ、パレットに乗せた絵の具のように鮮やかで優しい光彩が世界を構築している。光を纏ったケツァルコアトルは神々しく、より強大に見えた。
「俺の名前はトール。雷神トールだ。」
ケツァルコアトルは満天の笑みで歯をむき出しながらそうか、と言う。トールも笑った。互いに未だ出会ったことのない脅威を相見え、心が高揚した。嬉しかった。この男であれば、全力を出せる、俺はまだまだ強くなって行ける。互いがそう認識した。
「お前達が何者ンかは知らねェ。だが、そんな事はどうだっていい、今を楽しもうじゃねェか。さァ来なァ、勝負しようぜ!」
ケツァルコアトルが地を力強く蹴ると一気に距離を詰め、トールの眼前で剣を振りかざす。速い、トールがそう思う隙すら与えない猛攻をケツァルコアトルは繰り出した。一撃一撃が戦車を引くように重く、かまいたちのように斬れ味がある。
ーグァギャン、グァギャン。
受け止める圧力が有り余り、逃げ場を無くしたエネルギーが衝撃波となって両者の足場を波立たせる。トールが反撃すると、ケツァルコアトルは風の力でそれを受け流す。
「…分からねェ。俺の拳は軽いか。お前さん、さっきから俺の一撃一撃を何故片手で受け止められるんだ。」
ケツァルコアトルはトールと対峙し、その異変に気付いた。腕っ節に絶対の自信を持っている自分が、赤子を捻るが如く、片腕であしらわれているのだ。これ程の屈辱をケツァルコアトルは未だかつて経験したことがない。無論ケツァルコアトルの感情は他所に、トールとて一回一回が決して予断を許さない緊迫した攻防である。一度気を許せば、一気に全身持っていかれる。トールはそう感じていたが、ケツァルコアトルの疑問も至極当然のものであった。
「俺ァ、腕力で誰にも負けないんだ。」
トールは笑いながらそう言った。トールには鎚ミョルニルと合わせ、トールをトールたらしめんとする重要な神器が三種あると言われている。その内の一種が力帯メギンギョルズである。メギンギョルズはトールの腹に付ける力帯で、トールの神力を二倍に引き上げる効果を持っている。
「そうかい。ま、戦で種明かしはしねェわな。それならこいつァどうだ、来いッ、鏡泉!」
ケツァルコアトルがそう叫ぶと、地脈が唸り、水面が青ざめそこに見たことのない魔法陣が現れる。刹那、ケツァルコアトルが二人になってトールを襲い出す。
《鏡泉の波紋》
絶対有利の盤面を作り出すエンドスペル
「なっ、コリャア驚いた…!」
トールは必死に剣圧を殺す。何が起きたのか分からない。突如目の前の男が二人になり同じ膂力で襲ってくるのだ。
「ハッ、両腕使ってくれたなァ。ドンドン行くぜ!せいっ。」
ケツァルコアトルは息吹き宙を舞う。両者の力は均衡し、戦いの余波はこの大地へとてつもない影響を与えそうであった。
幾つ拳を交換したであろうか、互いに時間を忘れて汗と血に塗れた後、トールは剣圧から伝わるケツァルコアトルの精神や息遣いを直で受けるうちに、気付けば親愛にも敬愛にも似た感覚を抱いていた。
「出会った場所がここじゃなかったら俺たち最高の友になれた気がする。」
こんなにも気持ちが晴れる戦いは記憶に古く、トールは不器用ながらに相対す男へ最上の賛辞を送ると、ケツァルコアトルもトールの言葉に呼応し、俺も同じだ、と告げた。
「でも俺やらなきゃならねえことがあってよ、悠長にしてられねえんだ。悪いが、俺も全力だ…!」
トールがそう言うと、大地が震え上がり、トールの赤髪はゆらゆらと逆立ち、赤目がカッ、と異様な光を帯び始める。嵐のようなただならぬ気配にケツァルコアトルは気圧される、という感覚を生涯で初めて抱いた。
「ぐうぉおおおお…!」
トールのテンションが最高潮に達する刹那、突如彼方から氷の矢が戦場を突き刺す。
「グングニルの穿通!」
《グングニルの穿通》
「ぐおあっ、タダではやられんぞ!」
「一体、何だってんだよ!」
過熱した戦いに水を差されたトールは怒った。
「トール、そこまでです。どうやらそのお方とは、争う必要が無いようです。」
フレイヤはトールを諭すように言った。
「そして、そこの御仁。あなたにとって私たちもまた、敵意を向ける対象ではないようです。どうか一度剣を収め、私達の話を聞いてはくださいませんか。」
フレイヤの意図するところは分からないが、二人は交えた拳によって気心が通っていたため、その申し出に対し強い抵抗はなかった。むしろ心の何処かで安堵した。
「こんだけ足場固められちゃ続けようにも続けられねえ、ってんだよ。」
トールはそう言って、二人は笑った。
10.信頼
ー。
時はトールがケツァルコアトルに名を語り、拳を交え始める頃まで遡る。
トールと距離を取ったハデスの正面には、無垢の女神、アテナが立っている。アテナはケツァルコアトル戦によって四肢の自由の多くを失っていたが、息を荒げながらも戦意は失わず、ハデスを今の敵と認識し凄みを利かせ目を光らせている。
冷静を取り戻したハデスはアテナを見据え、この戦いの未来を頭の中で俯瞰していた。この短い時間の中でハデスに分かったことは、二点ある。一つは今対峙する自分へ刃を向けた、儚くも意志ある彼の処女は、紛れもなくアテナ本人であること。もう一つは、アテナを覆う特異なオーラの存在。それらが導き出すは、アテナが何者かによりマインドコントロールを受けているという答えであった。しかし、解呪の仕方が分からない。故郷では師であり、兄のような存在である自分が幾ら問い掛けようとも、得られる答えは自分へ向ける敵意なのである。
「アテナよ。済まないが少々付き合ってもらうぞ。千の雷よ、連なれ。ゼウスの降雷!」
《ゼウスの降雷》
優秀な縦範囲AoE
「断ずるは紛う事なき一の罪。己へ問え、テミスの裁定!」
《テミスの裁定》
高火力のユニットを一撃で落とす優れたスペル
ハデスは連続して魔法を繰り出し、アテナに猛攻を始めた。殺気は込めずとも、その一打一打が致命傷となっておかしくはない攻撃である。アテナは足元にある潤沢な水で周囲を覆い、身をガードするがハデスの一閃は軽くその壁を突き通す。
「逃げるな!日和ってばかりでは、道は拓けぬぞ!」
ぐわぁあ、とアテナが高く悲鳴を上げる。ハデスは故郷で自分が彼女へ手解きしていた日々を思い出していた。
「爆ぜろ!ッ」
高密度のマジックボールを休む間も無く連続で打ち込む。
アテナよ…、済まぬ。これは私の誤ちであった。お主は永遠に穢れなき乙女で有り続ければ良い。旅を終わりにしよう。ハデスは心の中でそう強く念じながら、攻撃を続ける。
「わ…私…は…!」
ふとアテナの意思を感じ、ハデスは耳を貸す。
「私は…!負けない!皆の命を、私が、守る…!」
それはアテナの深層意識が表に出たのか分からない。しかし、ハデスの心を強く打った。
「私は…!戦いを止める訳には、行かない!」
咄嗟に出た露わになるアテナの心。その想いにハデスは涙した。お主を突き動かすその源はどこにある、何故そうも強く有りたいのだ。ハデスが想いを巡らせていると、ドッ、という鈍い音がする。体の自由が効かない。アテナの渾身の一撃が、ハデスの腹を貫いていた。
「アテナよ…。いつのときも、お前は優しく在りなさい。」
今わの際を察したハデスはアテナに最期の言葉を送る。武運を、そう言い残し、精神が遥か遠くへ吸い寄せられそうになった刹那、アテナの記憶がハデスの頭の中へ走馬灯のように入ってきた。それは、メシーカの戦いの記憶であった。
ーくっ、これ以上は戦局が持ちそうに有りません。皆さんは先へ進んでください。
ー目的は!そうではなかった筈です!
ー此処で全員が絶命するより、幾らかはまともでしょう。
ー安心してください。私の命を賭して、あなた方を必ず守り抜きます!
入り込んできたアテナの記憶は、アテナが高潔な精神を持ち合わせる、確固たるひとりの騎士であるという証明であった。絶体絶命の状況下、アテナが重んじたのは他の命と強く有りたいという純粋な志。自分がボロボロになり果てながらも尚、こんなにもアテナは仲間を、弱き者を、庇い護ろうとしていたのだ。
「お前は…もう十分に、ひとりの立派な騎士である。」
ハデスはアテナの成長とその精神を心から賞賛し、心が洗われた想いがした。
そこでハデスの精神は戻った。朦朧とした意識の中、ハデスはアテナに目をやると、彼女の身は光で包まれ、覆っていた禍々しいオーラがゆっくり溶けていく。これは…、そうか。お前が求めていたものは…。ハデスは理解した。アテナが秘めたたった一つの想い、それは家族や他の皆から“認めてもらうこと”であった。
「や、やべぇ、姉さん、旦那が大変だ」
遠くでアヌビスの声が聞こえる。駆け寄ったフレイヤは治癒の力でハデスとアテナを回復する。
「旦那、無茶しましたね。」
アヌビスの緊張走った顔がハデスにはやけに可笑しく写る。
「そうだな、少しは労わる気になったか」
ハデスは皮肉を言いながら、この旅で初めて笑った。
To be continued..